五十嵐ゆういち 公式ブログ

経営・福祉・宗教・政治などジャンルを超えて縦横無尽に活動するキャリア(人生)カウンセラー

本が「生きづらさ」を「幸せ」に変えてくれる

「一箱本棚オーナー制度」の私設図書館「うしくの図書館 つながり」に置いた筆者の本棚

私は、子どもの頃から、暗く貧しい家庭で育ち、大人になってからもずっと「生きづらさ」を抱えて苦しみ続けていました。
それでも、今では独立して事業を営むキャリアコンサルタントになり、家族にも恵まれ、とても「幸せ」に暮らしています。

なぜ、私は「生きづらさ」を「幸せ」に変えることができたのでしょうか?

それは、本当にたくさんの「本」が私を助けてくれたからです。

今から約30年前、私は、父の死に場所となった、畳に大きな焦げ穴が開いたアパートの部屋に立ち尽くしていました。

「これで全てが吹っ飛んだ……」

もう記憶は薄れていますが、呆然としながら、そんなことを思っていたような気がします。

私の父はアルコール依存症でした。
父がアルコール依存症になったのは、私が小学校の高学年の頃でした。

それまでも酒を飲んで酔いつぶれることはよくありましたが、さらにひどい「連続飲酒」という発作を起こすことが多くなりました。
「連続飲酒」とは、食事もとらず、まさに身体の限界が来るまで酒だけを飲み続けるという発作です。

両親ともに大学は出ておらず、夜中にナイトクラブや飲食店の店員として働く朝帰りの仕事でした。
両親の仲は最悪で、夫婦げんかを目の当たりにすることが絶えませんでした。
父は酔って母に暴力を振るうこともありました。
子どもながらにいつも不安や恐れを感じていました。

私が中学生の時に両親は離婚しました。
3歳年下の妹がいましたが、妹は母と、私は父と、それぞれ別れて暮らすことになりました。
父と私は、風呂無し汲み取り式トイレの木造アパートに引っ越しました。
母が持って行ったので電話も無く、とてもみじめな気持ちで暮らしていました。

離婚後も父のアルコール依存症は治らず酒を飲み続け、体力の限界が来ると自分で救急車を呼んで入院することを繰り返していました。
父は入院中も抜け出して酒を飲みに行くことがあり、私が病院に呼び出されて注意されました。

当然、父は定職には就けず収入も不安定でした。
その当時は、まだ私が中学生であったため、生活保護を受けて暮らしていました。お金はなんとかなりましたが、父が酒を飲んで起こす不始末の面倒を見なければならず大変でした。

高校に入学した頃から父の病状は少し安定してきました。
私は迷いましたが、周囲の勧めや助けもあって、奨学金を借りて大学に進学しました。
しかし、父が再び連続飲酒の発作を繰り返すようになってしまいました。
学費も払えなくなり大学は1年で退学しました。

その後は、私が18歳を過ぎていたので生活保護は受給できず、父の面倒も見なければなりませんでした。
生活費が底をつくようになり、日払い・週払いのアルバイトで食いつないでいました。
経済的にも精神的にもかなり苦しくなっていました。
そのため、社会福祉事務所のケースワーカーの勧めにより世帯を分離し、父は生活保護を受給することになりました。

世帯を分離するためには、私が別の住居を確保しなければならなかったため、たまたま求人誌で最初に目に止まった、住み込み食事付きの条件の果実店で働くことにしました。

果実店で住込みで働いていた頃の筆者

その後も父は飲酒を止められず、消費者金融などから借金を重ね、私が返済を肩代わりしていました。
さらに奨学金の返済も大きな負担になりました。
そのため、ギリギリまで生活費を切り詰めていました。

私が住み込みで暮らしていた部屋には電話もありませんでした。

携帯電話も無い時代だったので、自分がどこかに電話をかける時は公衆電話を使っていました。
父や友人には、何かあれば店の電話にかけてもらうように伝えていました。

ある日の夜、何となく気になって公衆電話から父に電話をかけました。

しかし、電話に出たのは父ではなく、なんと消防士だったのです。

電話をかける少し前に、父が暮らしていたアパートの部屋から出火して火事が起きていたのです。

後で聞いた話によれば、寝タバコが原因の燃えるというより燻るような火事だったようで、部屋の電話は使える状態でした。

その時に電話で消防士と交わした会話の内容は覚えていません。

まさか父に電話をかけて消防士が出るとは思いませんし、異常な状況にかなり動揺しましたが、とにかく直ぐにアパートに向かいました。

アパートの前には消防車や多くの見物人が群がっていて、まさにドラマの1シーンのような火事の現場でした。

父が暮らしていた部屋は2階でしたが、中に入ると畳に大きな焼け焦げた穴が開いていて、下の階の部屋が見えている状態でした。
それは、まさに「全てが吹っ飛んだ」と感じさせる光景でした。
しかし、幸いなことに、下の部屋は空き部屋で誰も住んでいませんでした。

現場にいた消防署の方に父の安否について聞いたところ、既に息を引き取ったとのことでした。

正式な言葉は覚えていませんが、死因は煙を吸い込んでの一酸化炭素中毒だったと思います。

幸いなことに、大家さんの火災保険が適用されたので、金銭的な負担はありませんでしたが、その後は色々な後始末に追われることになりました。

結局、父はアルコール依存症を克服できないままこの世を去って行きましたが、私は深い喪失感に囚われました。

父の回復のために、自分なりに色々な努力をしてきたつもりでした。
しかし、その努力が全て無駄になったと思いました。

それでも、ただ生きるために、人生の焼け野原のように感じた場所から自分自身を復興させる努力を続けてきました。

その努力とは、一言で言えば「読書と実践」でした。

自らの「心の傷」を癒すために心理学の本を読み漁りました。
世の中で成功を収めるための自己啓発書も読み漁りました。
そして、それらの本に書いてあったことを、愚直に実践してきました。

本は図書館で無料で借りることができます。
定評のある名著でも、その価値の大きさに比べれば安価に買うこともできます。

貧しい私にとって、本が心の支えであり未来への希望を与えてくれる導師でした。
貧富の差に関わらず、誰でも平等に助けてくれる救世主のようなものでした。

本当にたくさんの本に大切なことを教えられてきました。

例えば、「アダルト・チルドレンと癒し(西尾和美著)」という本に書いてあった言葉も、ずっと胸の奥に刻み込まれていました。

「機能不全な家族で育った人は、自分をいたわり、自分の癒しをする責任があるのです」

「自分を癒すという仕事の後には、自分のよりどころとなる安全な場所を現実につくり、健全な人間関係をつくっていくという仕事が待っています。そして、そうした人々がやがて子供たちを傷から守る事もできるようになっていくでしょう」

機能不全家族」とは、私が育ったような「親としての役割を果たさない親がいる家族」を指す言葉です。

幸いなことに「本」に助けられたおかげで、「自分を癒すという仕事」と「自分のよりどころとなる安全な場所を現実につくり、健全な人間関係をつくっていくという仕事」という大きな二つの仕事を、成し遂げることができたように思います。

そして今では、家族にも恵まれ、ささやかながら幸せに暮らせるようになりました。

父は、生前、いつか飲酒をコントロールできるようになったら、私と酒が呑みたいということを言っていました。
しかし、生涯それが叶わぬまま、この世を去って行きました。

私の一人娘が成人した時、家で一緒にお酒を飲みました。

その時、ふと私の父ができなかった人生の一大事業を成し遂げたような気がして、肩から少し力が抜けました。
それは、ごく普通の人々からみれば大したことでは無いのかも知れませんが。

全てを失ったとしても、諦めなければいつか幸せになれる。
希望を持って「読書と実践」を続けていれば、幸せな人生を歩むことができる。
逆境に陥っても、本が「生きづらさ」を「幸せ」に変えてくれる。

私は今までの人生経験から、そう確信するようになりました。

そして、「生きづらさ」に苦しんでいる若者たちに、その信念を伝えて「幸せ」に生きるためのヒントにして欲しいと思いました。

その思いを込めて、本を出版しました。

書名は「『生きづらさ』を『幸せ』に変える本~アダルト・チルドレンのキャリアアップ作戦」です。

本を頼って生きてきた私にとって、本を出版するのは「夢」でした。

もちろん、本を出版するためにはどうすれば良いかということも、やはり本を読んで学びました。

出版という一つの夢が叶いましたが、まだこれからも私の人生は続いていきます。

そして、もし私が誰かに本との出会いをとりもつことができたなら、それだけで、今まで生きてきた意味を感じられると信じています。