五十嵐ゆういち 公式ブログ

経営・福祉・宗教・政治などジャンルを超えて縦横無尽に活動するキャリア(人生)カウンセラー

人との関りで“の”を使うのを止めたら何が変わる?

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「人は人を所有できない」

これは、現代では当たり前すぎることですよね。

でも、心の底では、他の人に自分の思い通りになって欲しいというような、「支配・束縛」に近いようなことを思ってしまうことはあるのではないでしょうか?

例えば……。

私“の”家族、私“の”パートナー、私“の”上司、私“の”友人など、“の”を付けているときは、その裏側には「私のもの」というような「所有的」な意識が秘められているのかも知れません。

「私“の”妻は、あんまり優しくない」

と、思ってしまうような時は、その言葉のウラに、「あの人は、自分“の”妻なんだから優しくするのが当然だ」というような考えが隠れている場合が多いのではないでしょうか?

でも、よくよく考えてみれば、「人は人を所有できない」のだから、たとえ身近な人であっても他の人が自分の思うようになる訳はないんですよね。

上のケースであれば、こんな風に考え方を変えてみたらどうなるでしょうか?

「あの人は、私のものではない。だから、自分の生きたいように生きる自由がある。だから、いつでも離婚することもできる。なのに、なぜかあの人は、今、私と一緒にいることを選んでくれている。」

もしかしたら、改めて妻に感謝したい気持ちになれるかも知れませんね。

世界中の対人支援者から尊敬されていたカール・ロジャースは、カウンセラーが悩みを抱えている人に向き合う時の姿勢として、「非所有的な(nonpossessive)思いやり」の重要さを説いていました。

それは、カウンセラーが、相談者を「私“の”相談者」として囲い込んでしまってはいけないということです。

そのような意識でのカウンセリングにおいては、表面的には思いやりがあるような言葉を使ったとしても、その言葉はカウンセラーの意図する方向に相手を誘導する「支配・束縛」に都合の良い道具であり、本当にその相談者のためになるものではないのです。

カウンセラーに限らず、「所有的な思いやり」では心が通った真の人間関係は築けないということなんだと、私はカール・ロジャーズの考えをそう解釈しています。

「非所有的な(nonpossessive)思いやり」とは、見返りを期待せず緩やかで優しい心で接することなのでしょう。

カール・ロジャーズは、晩年にこんな言葉を残しています。

私が自分のためにそのひとにこうあって欲しいと求める期待を断ち切って、私が満足するようにその人を変えていくという希望を切り捨てて、ひとりの人をあるがままに尊重することは、至難のわざであるけれども、それは満足のできる親密なかかわり合いへの豊かな道なのである。

身近な人に“の”を使うのをやめて、自分の望みを押し付けずに、相手のありのままの気持ちを尊重する気持ちで関わるようにしてみたら、どうなるでしょうか?

もしかしたら、さらにお互いにとって良い関係が築けるかもしれませんね。