私は不死であり「永遠の一瞬」を生き続ける

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※画像はイメージです

こんにちは!
キャリアコンサルタント・敬聴師の五十嵐ゆういちです。

死生観を磨くのは大事なことだと思っています。

私の死生観のようなものを言葉にしてみました。

未熟者なので安っぽいポエムのような拙い表現になってしまい、お恥ずかしい限りですが、お読み頂けると嬉しいです。

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私は不死であり、永遠の一瞬を生き続けています。

過去は「記憶・記録」でしかなく、既に現実ではありません。
未来は「想像・推測」でしかなく、未だ現実ではありません。

現実に在るのは、「今、ここ」という瞬間だけです。

「過去-現在-未来」という時間の流れは、思考の中だけにあるイメージの枠組みに過ぎません。
在るのは永遠に続く「現在-現在-現在」の瞬間の変化の流れなのです。

そして、私はいつか死を迎えますが、死ぬまでは生きているのです。

「今、ここ」で私は生きています。
「今、ここ」で私は死んでいません。

そして、私は、死ぬ瞬間を意識することはできません。

眠りなのか、夢なのか、苦痛による失神なのか、あるいは本当の死なのか。

他者からは、私が死んだのか意識を失っているだけなのかは客観的にわかります。

しかし、私自身が主観的に、一時的な意識不明状態なのか、それとも死なのかを知ることはできないでしょう。

「今、ここ」で私は生きている。
「今、ここ」で私は死んでいない。

それは主観的に意識できる真実です。

過去は「記憶・記録」でしかなく、既に現実ではありません。
未来は「想像・推測」でしかなく、未だ現実ではありません。
在るのは「現在-現在-現在」の瞬間の変化の流れなのです。

現実に在るのは、「今、ここ」という「永遠の一瞬」だけです。

「今、ここ」で私は生きている。
そして、私は死んだことを永遠に意識することはできない。

そうであるなら主観的には「不死」だと言えるでしょう。

だから、「今、ここ」で「永遠の一瞬」を「ありのまま」に生きるのです。

確かに「未来」のいつの日にか私は死ぬでしょう。

いつ死ぬのか?
どんな死に方をするのか?
本当に死んだらどうなるのか?

そんなことを想う時もあります。

しかし、「未来」は「想像・推測」でしかなく、現実ではない。

現実に在るのは、「今、ここ」という「永遠の一瞬」だけです。

だから、「今、ここ」で「永遠の一瞬」を「ありのまま」に生きようと思い直すのです。

「今、ここ」を生きている限り、私は永遠に「不死」なのですから。

私は不死であり「永遠の一瞬」を生き続けています。
今日も「永遠の命」を生きられることに感謝しながら。

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要するに、私はこのように思い至ったということです。

人は死ぬまでは生きている。
人は死んだことを自覚できない。
今、生きているなら、永遠に生きているのと同じこと。

それが正しいか間違っているかに関わらず、私は、そう考えた方が今を真剣に楽しく生きようと思えるのです。

■敬聴師 五十嵐ゆういち ウェブサイト