キャリアコンサルタント 五十嵐郁一 公式ブログ

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全てが吹っ飛んだ、焼け焦げたアパートに立ち尽くした夜のこと

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※画像はイメージです。

キャリアコンサルタントの五十嵐です。

今日は、私の昔話にお付き合いください。

 

今から30年前、私は、父の死に場所となった、畳に大きな焦げ穴が開いたアパートの部屋に立ち尽くしていました。

「これで全てが吹っ飛んだ……」

もう記憶は薄れていますが、呆然としながら、そんなことを思っていたような気がします。

父が火事で他界した時、私は23歳でした。
父は、私が小学生の頃からアルコール依存症になっていました。

それが原因で、私が中学生の時に母は離婚しました。
私は父のもとに残され、アパートで暮らしていました。

高校を卒業して大学に進学はしましたが、経済的にかなり厳しい状況に追い込まれ一年で中退しました。
私がアルコール依存症の父を養わなければならず、経済的にも精神的にもかなり苦しくなっていました。
そのため、社会福祉事務所のケースワーカーの勧めにより世帯を分離し、父は生活保護を受給することになりました。

世帯を分離するためには、私が別の住居を確保しなければならなかったため、たまたま求人誌で最初に目に止まった、住み込み食事付きの条件の果実店で働くことにしました。

私が住み込みで暮らしていた部屋には電話もありませんでした。

携帯電話も無い時代だったので、自分がどこかに電話をかける時は公衆電話を使っていました。
父や友人には、何かあれば店の電話にかけてもらうように伝えていました。

ある日の夜、何となく気になって公衆電話から父に電話をかけました。

しかし、電話に出たのは父ではなく、なんと消防士だったのです。

電話をかける少し前に、父が暮らしていたアパートの部屋から出火して火事が起きていたのです。

後で聞いた話によれば、寝タバコが原因の燃えるというより燻るような火事だったようで、部屋の電話は使える状態でした。

その時に電話で消防士と交わした会話の内容は覚えていません。

まさか父に電話をかけて消防士が出るとは思いませんし、異常な状況にかなり動揺しましたが、とにかく直ぐにアパートに向かいました。

アパートの前には消防車や多くの見物人が群がっていて、まさにドラマの1シーンのような火事の現場でした。

父が暮らしていた部屋は2階でしたが、中に入ると畳に大きな焼け焦げた穴が開いていて、下の階の部屋が見えている状態でした。
それは、まさに「全てが吹っ飛んだ」と感じさせる光景でした。
しかし、幸いなことに、下の部屋は空き部屋で誰も住んでいませんでした。

現場にいた消防署の方に父の安否について聞いたところ、既に息を引き取ったとのことでした。

正式な言葉は覚えていませんが、死因は煙を吸い込んでの一酸化炭素中毒だったと思います。

幸いなことに、大家さんの火災保険が適用されたので、金銭的な負担はありませんでしたが、その後は色々な後始末に追われることになりました。

結局、父はアルコール依存症を克服できないままこの世を去って行きましたが、私は深い喪失感に囚われました。

父の回復のために、自分なりに色々な努力をしてきたつもりでした。
しかし、その努力が全て無駄になったと思いました。

それでも、ただ生きるために、人生の焼け野原のように感じた場所から自分自身を復興させる努力を続けてきました。

そして今では、家族にも恵まれ、ささやかながら幸せに暮らせるようになりました。

娘が成人した時、家で一緒にお酒を飲みました。

その時、ふと人生の一大事業を成し遂げたような気がして、肩から少し力が抜けました。
それは、ごく普通の人々からみれば大したことでは無いのかも知れませんが。

父は、生前、いつか飲酒をコントロールできるようになったら、私と酒が呑みたいということを言っていました。
しかし、生涯それが叶わぬまま、この世を去って行きました。

墓参りに行くときは、いつも霊園の売店で日本酒を2カップ買って墓前に行きます。
父と私の二人分です。

カップは墓前におき、私はその傍に座って、一人でもう1カップを呑みます。
呑み終わったら、墓前に置いた父の分の1カップを開けて墓石にかけます。

「もういい、終わったんだ。思い切り呑め。」

そんなことを心の中でつぶやきながら。

今では、父が生きていた当時の努力や葛藤は無駄ではなく、むしろ色々なことを学ぶことができたと思えるようになりました。
父が立ち直れないままこの世を去ったことも、何らかの意味がある導きであったと思っています。

「これで全てが吹っ飛んだ……」

当時は全てを失ったような気がしました。

でも、今ではこんな風に思っています。

その時、全てが吹っ飛んだのではなく、むしろ幸せをもたらす財産を得たのかも知れない。

なぜなら……

全てを失ったとしても、諦めなければいつか幸せになれる。

焼け焦げたアパートからの旅路で培った、その信念が、今の幸せを支えているからです。