もう数か月前のことになりますが、「目白がん哲学外来カフェ」という集いに参加してきました。
「がん哲学外来カフェ」とは、主にがん患者や家族の方々が集まり、 気軽にお茶やお菓子を囲みながら、安心して何でも話し合える、ゆったりとした交流の場です。
「がん哲学外来」は、順天堂大学名誉教授の樋野先生が提唱する、医学と哲学を結びつけた対話の場ですが、「がん哲学外来カフェ」は、がん患者の方が発起人や世話役を担って自主的に開催する交流の場です。
その活動は、日本全国に広がっていて、今や120か所で開催されています。
それだけ、がんに関わる方々の心の支えになっているのでしょう。
「がん哲学外来」については、こちらの樋野先生のインタビュー記事にわかりやすく書いてあります。
「目白がん哲学外来カフェ」も、がんを患った経験を持つ、森尚子さんという方が立ち上げ、約3年間に渡って月1回のペースで開催し続けています。
その活動については、読売新聞にも掲載されました。
オンラインでも記事が読めるようになっています。
森さんは、ご自身が壮絶な闘病経験を持ち、 今も「目白がん哲学外来カフェ」をボランティアで主催し、色々なご苦労があるはずです。
それにも拘わらず、私がやっている児童養護施設の子どもたち向けの支援活動にも関心を持ってくれました。
そのようなご縁で、私はがん患者ではありませんが、「目白がん哲学外来カフェ」を見学させて頂けることになりました。
会場は、目白駅近くの目白町教会で、当日は、看護学校の学生さんも見学に来ていて、だいたい40名くらいの方が参加していました。
初めて参加した私を、参加者の皆さまはとても温かく迎えてくれました。
話をするだけでなく、参加者の方がピアノを弾いたり歌を歌ったり、樋野先生の本を朗読したり、色々な楽しみがある場になっていました。
まさに闘病中の方もいらしゃいましたが、全体的には、とても明るく温かな場になっていました。
森さんをはじめとする世話役の方々も、終始笑顔で、とても明るい雰囲気を作っていましたが、やはり、ご自身やご家族ががんに罹った経験を持った方々です。
自分が辛い思いをしていれば、その痛みだけでも、大きな心の負担になるはずです。
しかし、「目白がん哲学外来カフェ」に集まる方々は、同じような痛みを抱えた人のために、自分が何かしたいという想いを持っているように感じました。
それも、何か大上段に構えたり悲壮感を感じさせるのでもなく、肩の力が自然に抜け、明るく微笑むような態度で。
私は、「目白がん哲学外来カフェ」に参加して、こんな思いがさらに強くなりました。
深く暗い闇の底に降ろされて、そこをくぐり抜けた人は、明るく柔らかな光を放つようになる。
そして、その光で、他の人の心の闇を照らし、癒せるようになる。
今、世の中では、がんのみでなく、色々な困難に直面し心の痛みを抱えている人が増えているように思います。
そして、その痛みを一人で抱えて苦しんでいる方も多いことでしょう。
「目白がん哲学外来カフェ」のように、心の痛みを安心して人と分かち合える対話や交流の場が、どんどん増えていけば、より多くの方が救われることになると思います。
そして、その場を創ることができるのは、心の痛みを味わい深く暗い闇をくぐり抜けた人なのかもしれません。
樋野先生の著書に、こんな言葉がありました。
文豪ゲーテの言葉だそうです。
涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の本当の味はわからない
ちなみに、「目白がん哲学外来カフェ」の最近の活動は、こちらのチラシをご覧ください。
また、以前の記事でもお知らせしましたが、「がん哲学外来カフェ」をテーマにしたドキュメンタリー映画「がんと生きる 言葉の処方箋」の自主上映と、森尚子さんを招いてのトークショーを開催します。
ぜひ、ご参加ください!