ソーシャル・キャリアコンサルタント 五十嵐郁一 Official Blog

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将来が不透明な時代でも揺るぎない自信を持つために、「無職透明のレンズ」で本当の自分を観てみよう

あなたは誰ですか?

改めてそう聞かれると、ドキッとしてしまうかもしれませんね。

普通は、「会社員」とか「大学生」とか「主婦」とか、職業や自分の居場所を答える人が多いと思います。
いわゆる「肩書」ですね。

人は、だいたい何らかの「肩書」を持って生きているのは事実でしょう。

「○○大学の学生」とか、「株式会社○○の社員」とか、「○○ちゃんのママ」というのもありますね。
「年収○千万円プレーヤー」なんていう人もいるかも知れません。

だから、逆に、「肩書」が社会的に低く見られているものであったり、例えば失業などで「肩書」そのものを失ってしまうと、自分の価値が下がったように感じることも多いと思います。

最近の日本は経済成長も横ばいになり、「AIに仕事を奪われる」とか「大企業でも中高年はリストラの対象」とか、不安を煽るような風潮が広まっているので、なおさら自信を失いがちになるかもしれません。

でも、「肩書」=「本当の自分」なのでしょうか?

あくまでも、「肩書」というのは、「自分の外側」にある社会の中の、たまたま自分がその時に立っている場所で演じている役割のようなものを指し示しているに過ぎないものです。

心理学的には「ペルソナ(仮面)」と言いますが、社会の中での役割そのものを、あたかも本当の自分のように錯覚してしまうことがあります。
しかし、「本当の自分」の価値とは、自分の内側にあるものなのです。

では、自分の内側に居る、「本当の自分」の姿を見るにはどうすれば良いのでしょうか?

それが、ブログのタイトルに書いた、「『無職』透明のレンズ」です。
決して、「無色」の書き間違いではありません(笑)

まあ、「肩書」なんて、所詮は「色メガネ」のようなものなんです。
本当の自分の姿にフィルターをかけているだけと思えばいいでしょう。

「無職」になってしまえば、その「色メガネ」が外れて、「無職透明のレンズ」で自分を見つめることができるようになります。
もちろん、本当に無職にならなくても、無職になった状況を想像するだけでも良いと思います。

私にも、20代の時に、その「無職透明のレンズ」を通して、「本当の自分」を自覚した経験があります。

私の生い立ちは、プロフィールページに書いてありますが、20代の時に、一度、家族も財産も全て失いました。

そして、その後、住み込みで働いていた仕事を辞め、バックパック一つを背負って放浪の旅に出ました。

下の画像は、50代の今と全く違う姿ですが(笑)、オーストラリアのエアーズロックの頂上でとった写真です。

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そこにいる私は、仕事も無い家庭も住居も無い、何の肩書も持っていない人物です。
(唯一、肩書があるとすれば、「日本人」ですね)

では、仕事も家庭も住居も失って出た旅の中で、「無色透明のレンズ」を通して、見えてきたのは何か?
それは、

ただの「いきもの」として世界を見つめる感性。

全てが吹っ飛んだとしても、自分の中に最後に残るのはこれなんだ。

そう思いました。

例えば、360度何もない地平線を見つめたときに湧き上がる感動。
無心に生きている動物たちへの慈しみ。
偶然の人との出会い、束の間の腹を割った語らい、別れの名残惜しさ。
困ったときに手を差し伸べてくれた人への、ささやかな感謝の気持ち。

そんな心のゆらぎは、「肩書」なんかに関係なく、自分の中の深いところから湧き上がってくる。

そして、そんな心の揺らぎを感じる感性があれば、自分が命を持った「いきもの」あることを実感できる。
そのような世界の姿の美しさを実感できる「感性」こそが、「本当の自分」の拠り所なんだと、そう思うようになりました。

そして、その「ただの『いきもの』としての自分」を、無条件に肯定してしまえば、揺るぎない自信になります。

例え、自分の「肩書」がなんであっても、生きていければいいじゃないですか。

もしかしたら、誰かが自分をバカにして傷付けようとするかもしれません。
でも、たとえ誰であっても、町中の夕焼けを見て「きれいだな」と感じる「感性」を、奪うことはできません。
それは、自分の外側ではなく内側の深いところに居る、「本当の自分」が感じているものだから。
そして、そんなささやかな風景に癒される「感性」があれば、生きていることを実感できる。

本当に、とりあえず生きていれば、いいじゃないですか。

あなたは誰ですか?と、聞かれたら。
「ただの『いきもの』です」と答えればいい。

実際は、常識的な回答をすると思いますが・・・(笑)
私は、心の中では、そんな風に開き直っています。

それは、若いころに、「無職透明のレンズ」で「本当の自分」を見ることができたからだと思います。

所詮、人間がいきがっても、自然の力にはかないません。
自然の前では、肩書がなんであろうと、人間はただの「いきもの」に過ぎません。

そう思えれば、将来の見通しが立たない時代においても、何かを失う恐れや囚われから、少しは自由になれるでしょう。

そして、もっと、人生がシンプルになり、ワクワクして生きられるようになるかもしれません。