ソーシャル・キャリアコンサルタント 五十嵐郁一 Official Blog

社会起業家×キャリアコンサルタント=ソーシャル・キャリアコンサルタント → より幸せな社会の実現を目指して

日本の危機を招く「学歴エリート」と、その危機を救う「逆境エリート」の違いとは何か?


昨今のニュースを見て、「日本の官庁や大企業がおかしくなっている」と感じている人が多いのではないでしょうか。
東大など高偏差値の大学を出た、世間から「エリート」と言われる人々が集まっているはずの官庁や大企業で起きた、不祥事や巨額の損失などのニュースが続いています。

では、なぜそのようなことが起きるのか?
新卒採用で「頭の良い勉強ができるエリート」を集めているはずの組織が、なぜうまくいかなくなっているのか?

それは、人間力などリーダーとしての大切な資質を欠いたまま、偏差値のみで評価された「学歴エリート」が、組織の要職に就いてしまう傾向が強くなっているからでしょう。

良く世間から、東大卒の方が、「頭の良い人」や「エリート」ともてはやされます。

しかし、東大卒に象徴される高偏差値大学に入学したということは、あくまでも、「試験問題の正解を回答する能力に長けた人」であること示しているにすぎないのです。
必ずしも「人」としてではなく、いわば限定的な「ペーパーテスト・エリート」としての優秀さを示しているだけなのです。

私の恩師である多摩大学大学院の田坂広志教授は、東京大学大学院で博士号を取得した方ですが、著書「東大生となった君へ」の中で、こう書いています。

「実は、東大生や東大卒の人間の『頭の良さ』とは、偏差値教育の基準における『頭の良さ』にすぎない。そして、偏差値が高いという意味での『頭の良さ』とは、端的に言えば、『論理的思考力』と『知識修得力』に優れているということだ。」
「すなわち、論理的思考力に優れていれば、入試において物理や英語で良い点が取れる。また、知識修得力に優れていれば、日本史や世界史、生物や化学、英語で高い点が取れる。」
「そのため、論理的思考力と知識修得力が優れていれば、偏差値が高くなり、東大に入れるというのが、現在の入試の仕組みだ。」

つまり、「論理的思考力」と「知識修得力」を駆使して、ペーパーテストで高得点を取ることで高学歴となったのが、「ペーパーテスト・エリート」なのです。

今や、中学や高校も、特に「進学校」と言われる学校ほど、「ペーパーテスト・エリート養成機関」となってしまっています。
そこでは、「将来、自分はどう生きるべきか?」という根源的な問いに答える教育はありません。

「将来の自分の人生にとって大学はどのような意味を持つのか?」
そのようなことを自分の頭で考える十分な時間も、対話の機会も与えられることなく、ただ偏差値を上げることだけで評価されてきた人達。

それが、東大卒に象徴される「ペーパーテスト・エリート」なのです。

もちろん、「論理的思考力」と「知識修得力」は、人としての重要な能力ではありますが、それだけで組織の中でリーダーとしての要職が務まる訳ではありません。

しかし、現在の日本は、「ペーパーテスト・エリート」が増殖する社会になってしまっているのです。

では、ジャパンミラクルと呼ばれた高度成長期の日本はどうだったのでしょうか?

その時代には、「真のエリート」が「リーダー」として組織を率い、「ペーパーテスト・エリート」が「フォロワー」として追随していたのです。

では、高度成長期の「真のエリート」とは、どのような人だったのか?

それは、端的に言えば、逆境の中で人間力や大局観や志を磨いてきた、「低学歴の苦労人」です。
もちろん、それが全てとは言い切れませんが、高度成長期の初期にはそのような人が多かったように思います。

大企業の創業者として有名な方では、松下幸之助さんや本田宗一郎さんを思い浮かべればわかりやすいでしょう。

いずれも大学は卒業していません。
若い活力のある時期に丁稚奉公などに出て、「ペーパーテスト」の訓練ではなく現場で汗をかきながら実業の修行を積んだ方です。

「真のエリート」について、田坂教授は前掲書の中で、こう書いています。

『真のエリート』とは、『厳しい競争を勝ち抜いた人間』のことではない。」
「『真のエリート』とは、自分が『恵まれた人間』であることを知り、そのことに感謝し、その深い感謝を、世の中の多くの人々の幸せのために生きることによって、表して歩む人間のことだ。」

まさに、亡き後も敬われている、松下幸之助さんや本田宗一郎は、そのような「真のエリート」であったことは言うまでもないでしょう。

「真のエリート」がリーダーとして出した指示を、「ペーパーテスト・エリート」がフォロワーとして実行する。

この構図が、高度成長期の日本を支え、成功に導いた組織構造であったように思います。

「ペーパーテスト・エリート」は、自頭は良く「論理的思考力」と「知識修得力」に長けているので、すでに提示されている課題に回答し実行することは得意なのです。

しかし、高度成長期を過ぎ経済的には豊かになった現代の日本では、世代交代で「真のエリート」が去り、物質的に恵まれた環境で偏差値教育に浸かった「ペーパーテスト・エリート」達が、官庁や大企業のリーダーとしての要職を占めるようになりました。

また、明治から昭和中期頃までは、貧困や低学歴のハンデがあっても、志を持ち努力をすればその能力を発揮できる場を得られるような、社会階層間移動の柔軟性がありました。しかし、低成長期に移行した現在の日本では、社会階層が硬直化しています。

現代の日本においても、貧困などの逆境の中でも努力し、「真のエリート」としての資質を磨いている人たちもいますが、その能力を発揮できる活躍の場を得ることが難しい時代になっています。
そのような人たちよりも、東大卒に象徴されるような「ペーパーテスト・エリート」の方が、「エリート」として大組織の要職として優遇されているのが現実です。

しかし、変化のスピードが速くなっている現代においては、「与えられた課題に対する正解」を求める力ではなく、「ビジョンを構想し正解のない課題」を設定する力が求められます。

そして、リーダーシップを発揮するには、人間力や大局観や志が必要になります。

それは、「ペーパーテスト・エリート」のままでは持ち得ない力なのです。

要するに、「真のエリートの喪失」が、高度成長期を終えた現代の日本を「おかしくしている」原因のように思います。

では、その病を克服し、より良き社会を創るためにはどうすれば良いのでしょうか?

田坂教授も言っていますが、東大卒でも、優れた人格を備えた「真のエリート」として活躍されている方は数多くいます。

まずは、私たちが、「真のエリート」と「いわゆる学歴エリート」の違いを明確に理解し、選別できる目を養うことが必要でしょう。
また、「東大生となった」方々も、その立場に安住せずに、自らの能力を客観視し、「真のエリート」を目指して行けば、さらに社会の役に立つことができると思います。
そして、社会の一員である私たち一人一人が、「真のエリート」としての資質を磨き続ける覚悟を定めることが大切だと思います。

田坂教授は、前掲書の中でこう書いています。

「『真のエリート』の道を歩むために、実は、東大生や東大卒である必要はない。『大学に行ける』ということが、有難いことであり、恵まれたことであることを自覚し、その感謝を、世の中の多くの人々の幸せのために生きることによって表そうとするならば、すべての大学生が『真のエリート』としての道を歩める」

さらに言えば、「真のエリート」になるためには、仕事の領域によっては大学を出ている必要もないのかもしれません。
むしろ、人の心の痛みに対する共感力のような力こそが、「真のエリート」への道への起点になるような気がします。
そして、逆境の中で、人の心の痛みを知り、普通の人が「当たり前」と思うような事にも「有り難い」と感謝できる人間力を磨いた「真のエリート」達が、登用され活躍できる社会に変えていくことも必要でしょう。
「真のエリート」とは、「逆境エリート」と言い換えても良いと思います。

これからの日本を動かす人材が、「ペーパーテスト・エリート」から「逆境エリート」に代わっていけば、より良き社会への進化が促されると思います。