ソーシャル・キャリアコンサルタント 五十嵐郁一 Official Blog

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なぜ、ビジネススクールで、児童養護施設のドキュメンタリー映画の自主上映会を開催したのか?

 
先の記事で開催レポートを掲載した「ソーシャルMBAフォーラム」について、このような疑問を持った方も多いことでしょう。
確かに、それは尤もだと思います。
 
ごく一般的なビジネススクールが開催するイベントのテーマは、大体このようなものでしょう。
 
「利益を最大化し、株価を向上させるにはどうすればよいか?」
ベンチャーを立ち上げ、上場させるためにはどうすればよいか?」
 
そこに、こんな問いを並べたら、確かに違和感があると思います。
 
「本来誰もが受けられるべき、実の両親からの無償の愛や保護を得られなかった子どもたちは、児童養護施設でどんな日常を送っているのでしょうか?」
 
では、なぜ、あえてビジネススクールで、児童養護施設ドキュメンタリー映画自主上映会を企画したのでしょうか?
その答えは、人種差別撤廃運動で有名なマーチン・ルーサー・キング牧師の言葉にあります。
 
「愛なき力は、無謀で乱用をきたすものであり、力なき愛は、感傷的で実行力が乏しいものだ」
 
キング牧師は、人は一般的に「愛」と「力」のどちらかに偏ってしまう傾向があることを見据えた上で、どちらかを否定するのではなく、その両方が必要だと考えていたのでしょう。
 
リーマンショックの頃の米国企業では、MBAを取得したシニアマネジャー達が、その知識や操作主義的なスキルを権力の源泉として振りかざし、短期的な業績数値を追い続けました。
彼らは、安易なリストラに走ったり粉飾決算など不正を犯してでも、事業を延命、株価を引き上げ、見返りに高い報酬を得られれば良いという考え方に全く疑問を持ちませんでした。
そして、今や、日本の名だたる大企業でも、同じような過ちを犯しています。
 
それは、まさに、「愛なき力は、無謀で乱用をきたす」ことの象徴と言えるでしょう。
 
しかし、いくら「社会に貢献したい」という愛があっても、事業経営に関する正しい知識やスキル・行動姿勢やアイディアなどの「力」がなければ、新たな価値を世の中に提供し続ける事はできません。
 
そう考えてみると、ビジネススクールの本来あるべき姿とは、「力」と「愛」の二つの側面からバランスの良い教育を、ビジネスパーソンに提供することだと言えるでしょう。
 
イノベーションの大家として有名なハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授は、東日本大震災からの復興を応援するメッセージを日本人に送ってくれました。
これは、クリステンセン教授自身が、心臓発作、ガン、脳卒中の三重苦を乗り越えた経験に根ざした言葉です。
 
「自分自身の不運と抱えてしまった問題ばかり考えていて、私はほかの人たちを助けたり奉仕することについて考えるのをすっかり忘れていました。
人々の生活を向上するために何ができるのかを考えるのではなく、私は自分の問題、自分の欲求、自分にとって必要なことばかりを考えていたのです。
私の不幸の原因は自分自身のそうした自己中心的な考え方なのであって、自分自身を“復興”するプロセスを通して、幸福とは私利、私欲、私心を捨てることによって初めて手に入れられる心の安息なのだと気づいたのです。
それを実行することはとても難しいことです。人は、自分は他人とは違う特別な存在なのだと考えるものです。」
 
結局、米国のビジネススクールの教授も、「力」だけではビジネスパーソンにとして幸福になれないという結論に辿り着いたのです。
 
「ソーシャルMBAフォーラム」で上映した映画「隣る人」は、決して児童養護施設の実状を知るだけでは収まらない、人間の在り方の本質に迫る様々な問いが浮かび上がって来る映画だと思います。
そして、そこには、日本における社会的課題が映し出されています。
 
日本のビジネスパーソンは、そのビジネスで培った「力」を、社会的課題の解決に還元することによって「愛」とのバランスが取れ、自分自身もさらに幸せになれるのではないでしょうか?
 
そのようなことを考える場を創りたい。
それが、あえて、ビジネススクール児童養護施設ドキュメンタリー映画自主上映会を開催した理由です。
 
「愛なき力は、無謀で乱用をきたすものであり、力なき愛は、感傷的で実行力が乏しいものだ」
 
キング牧師のこの言葉は、私が提唱する「ソーシャルMBA」のスタンスを表す言葉でもあります。
 
私は、これからも、ビジネスパーソンの方々に、社会における「愛」の側面の重要性をお伝していきたいと思っています。